句友が墨田区のボランティア・ガイドをしていて、忠臣蔵討ち入りコースを案内してくれることになりました。深川の仲間7人パーティです。
赤穂浪士四十七士の一人大高源吾は、「子葉」という俳号を持ち文武両道に優れた人でした。
今回の討ち入りコースは、俳人の側面を主に案内してくれます。
歌舞伎絵の大高源吾。たぶんいいオトコだった。
両国駅を出て回向院方面へ行くと、横綱の像
雲竜型と不知火型の土俵入りの意味を教わりました。 ガイドさんはよく勉強してます!
芥川龍之介はこのあたりで育ったらしい。
この辺りは長く政治や文化の中心だったことが分かります。
吉良邸正門があったところ。赤穂浪士は正門は破らずはしごで乗り越えたそうです。
吉良様は領民にはよき君主だったらしい。ふくよかな吉良公の像が安置されています。
江戸時代のパワハラ事件が「松の廊下」だったんだ。
吉良邸裏門 こっちは力で打ち破ったとか。
正門から裏門まで、今ではぎっしりマンションなどが立っているけど、相当広いお屋敷だった。
裏門近くには、前原伊助が小間物屋を」営んでいた。ひそかに吉良邸の動向を探っていた。
47人がそれぞれ身をやつして情報を集め、綿密な計画の元、討ち入りを果たしました。
携帯も無い時代に、よくやったよね!
俳人大高源吾にはこんなエピソードがあります。
討ち入りの前日、すす払いの竹売りに身をやつして吉良邸を見張っていた源吾を見て、俳句の師の室井其角は哀れに思い、着ていた羽織を与えて「年の瀬や 水の流れも人の身も」と詠んだ。
すると源吾は「あした待たるる その宝船」と返句した。
其角が句会で披露したところ、その夜討ち入りが決行されると読み解いた武士がいたが「武士の情け」と密告などはしなかったらしい。
ガイドのKさんは大変な勉強家!通り一遍の案内ではなく手作り資料を携行、面白いエピソードをちりばめて、めちゃくちゃ優秀なガイドさんです。俳句もとっても素晴らしいです。
お昼は永代橋近くの寿司屋で海鮮丼
卵焼きに予想外の物が入っていた。 さて、な~~んだ!
私はこの寿司屋で脱落!泉岳寺までは行きませんでした。午後ちょっと用があったもので・・・